更新日2026年09月01日 公開日2026年09月01日
都営三田線の板橋本町駅から、板橋区役所前駅、新板橋駅にかけての一帯。
大手町や日比谷方面へ乗り換えなしでアクセスできる利便性の良さが魅力ですが、地上を歩いてみると、旧中山道沿いに続く商店街や昔からの建物、石神井川、そして加賀の落ち着いた住宅街など、場所によってさまざまな表情を見ることができます。
今回は板橋本町駅を起点に、旧中山道の板橋宿、仲宿商店街、板橋区役所周辺を通り、加賀から新板橋方面まで歩いてみました。
板橋本町駅前。「距日本橋二里三十三町四間」の標柱が旧中山道沿いであることを伝えています
なお、二里三十三町四間は、現在の長さでおよそ11.46km(約11,462メートル)です
CONTENTS
- 日本橋から最初の宿場「板橋宿」
- 旧中山道に今も続く、仲宿商店街
- 仲宿の街並みに繋がる「板橋」と石神井川”
- 板橋区の行政の中心、板橋区役所前
- 仲宿から加賀へ。街の表情が変わる住宅エリア
- 加賀前田家の下屋敷から、近代産業の舞台へ
- 歴史的な資源を生かした「史跡公園」の整備も進む
- 板橋本町から新板橋まで。不動産投資の対象地として見ると
日本橋から最初の宿場「板橋宿」
板橋本町駅付近を通る旧中山道を南へ歩いていくと、現在の街並みの中に「板橋宿」の歴史を伝えるものが随所に残っています。
中山道は江戸・日本橋と京都・三条大橋を結んだ五街道の一つ。板橋宿は日本橋から数えて最初の宿場で、江戸の玄関口として多くの人が行き交いました。板橋宿は平尾宿・仲宿・上宿の三つから構成され、その範囲は約2.2kmに及んだとされています。
現在はもちろん宿場町そのものの景観が残っているわけではありません。それでも、旧中山道は今も地域の生活道路として使われ、道沿いには商店や住宅が連なっています。
過去の街道が途切れることなく、現在の街の骨格になっている。実際に歩いてみると、板橋という街の特徴がよく分かります。

石神井川に架かる「板橋」。板橋という地名の由来になったともいわれています
旧中山道沿いに残る建物。昔からの街並みの面影を現在に伝えています
旧中山道に今も続く、仲宿商店街
旧中山道沿いの仲宿商店街。
ここを歩いていて印象的なのは、歴史的な街道が現在も日常の買い物動線として使われていることです。
スーパーをはじめ、青果、惣菜、飲食店などが並び、自転車で買い物に訪れる人や徒歩で行き交う人の姿も多く見られます。いわゆる観光地として保存された旧街道ではなく、今も地域の日常生活の中にある旧街道といった方が実態に近いでしょう。
スーパーや飲食店などが並び、人通りも多い仲宿商店街
また、大型店だけでなく、昔から営業する個人店が点在しているのも仲宿らしいところです。
古い建物とマンションなど比較的新しい建築物が隣り合い、街が更新されながらも、これまで形成されてきた商業地としての性格が残されています。
仲宿商店街に残る昔ながらの和菓子店(昭和11年創業)
この一帯では、板橋区も旧板橋宿周辺地区として、住環境の向上や防災性を意識したまちづくりを進めてきました。現在の街並みは、昔からの商店街や住宅と、建て替えによるマンションなどが混在する形で形成されています。
仲宿の街並みに繋がる「板橋」と石神井川
石神井川に架かる「板橋」。
「板橋」という名称は古い文献にも登場し、現在の板橋区という地名の由来になったといわれています。
橋の北側・南側にはそのまま仲宿の街並みが続いていますが、橋の上に立つと石神井川と緑が視界に入り、商店街とは少し異なる開放感があります。

石神井川に架かる「板橋」から仲宿方面を望む
今回の記事の中でも、この場所は板橋の特徴がよく表れているように感じます。
旧中山道、商店街、住宅が、それぞれ別々に存在するのではなく、徒歩圏の中で連続しています。
板橋区の行政の中心、板橋区役所前
旧中山道、仲宿商店街の南端を西に向かうと都営三田線の板橋区役所前駅があります。
駅名の通り板橋区役所が立地し、近隣には警察署や消防署もあるこの周辺は区の行政機能が集まるエリアです。

仲宿商店街からも近く、商業・行政・住宅という異なる機能が比較的コンパクトな範囲にまとまっています。
駅前に大型繁華街が広がるタイプの街ではありませんが、日常生活に必要となる機能が身近な範囲に配置されている点は、このエリアを見る上で一つの特徴でしょう。
仲宿から加賀へ。街の表情が変わる住宅エリア
板橋区役所周辺から東側の加賀方面へ進むと、街の雰囲気は少し変わります。
商店が連続する旧中山道周辺に対して、加賀では集合住宅や学校、公園などが目立ち、より住宅地としての性格が強くなってきます。

集合住宅が並ぶ加賀周辺の街並み
歩道や緑が確保された場所もあり、仲宿の商店街とはまた違った住宅環境を見ることができます。
板橋本町から新板橋までを単純に「三田線沿線」という一括りで見ると分かりにくいのですが、実際に歩いてみると、商店街を中心とした仲宿と、住宅地として整備された加賀ではかなり街の表情が異なります。
この変化も、この一帯を生活圏として見る面白さの一つです。
加賀前田家の下屋敷から、近代産業の舞台へ
加賀という地名が示す通り、この一帯には江戸時代、加賀藩前田家の広大な下屋敷がありました。
板橋区によれば下屋敷は21万坪を超える規模だったとされており、現在の加賀公園は、その庭園にあった築山の一部にあたります。

「板橋区史跡 加賀前田家下屋敷跡」の碑
明治に入ると、この土地の性格は大きく変わります。
1876年、旧加賀藩下屋敷跡の一部に板橋火薬製造所が設けられ、その後は火薬の製造・研究拠点として使われました。現在も加賀一丁目には弾道管や試験施設、土塁などの遺構が残り、2017年には「陸軍板橋火薬製造所跡」として国の史跡に指定されています。
加賀公園に残る露天式射垜(しゃだ=火薬の威力を測定するための的)遺構
現地では、現在の緑豊かな公園の中にこうした近代産業の痕跡を見ることができます。
江戸時代の大名屋敷、明治以降の火薬製造・研究施設、そして現在の住宅地。
同じ加賀という土地が、時代によって異なる役割を担ってきたことが分かる場所です。
歴史的な資源を生かした「史跡公園」の整備も進む
さらに現在、板橋区では国史跡「陸軍板橋火薬製造所跡」を保存・活用した「板橋区史跡公園(仮称)」の整備を進めています。
対象となるのは、旧野口研究所跡、旧理化学研究所板橋分所跡、加賀公園など。既存の遺構や建造物を保存しながら、将来的に一般公開する歴史公園として整備する計画です。2026年8月現在、旧研究所跡地は整備準備中のため通常は公開されていません。
ここで重要なのは、単純に「新しい公園ができる」という話ではありません。
板橋という街が持っている産業の歴史を保存し、これからの街の資源として活用していこうという取り組みです。
現在の加賀の住宅環境を見るだけでなく、こうした土地の履歴を知ることで、この街をまた違った角度から見ることができます。

加賀公園に隣接する旧野口研究所敷地内に残る隠蔽式発射場(弾道管)遺構
弾道管は現在は地中に埋まっており、観測用と思われるコンクリート製の建物だけが見えます
板橋本町から新板橋まで。不動産投資の対象地として見ると
今回、板橋本町駅から旧中山道、仲宿、板橋区役所、加賀を経て新板橋方面まで歩いてみると、一口に「都営三田線の板橋エリア」といっても、場所ごとに街の性格が異なることが分かります。 
都営三田線「新板橋」駅
交通面では、2024年度の一日平均乗降人員が板橋本町駅約3.8万人、板橋区役所前駅約3.6万人、新板橋駅約3.0万人となっており、いずれも日常的に利用される駅として一定の利用規模があります。
(参考:東京都交通局 各駅乗降人員一覧)
また、板橋区全体の人口は2026年8月1日時点で587,809人、344,943世帯。2020年8月と比較すると、人口が約2.8%増えているのに対して、世帯数は約9.0%増加しています。2020年国勢調査では単独世帯が一般世帯の54.4%を占めており、小規模世帯の厚みもこのエリアの住宅需要を考える上で参考になる数字です。
(参考:板橋区公式ウェブサイト 区全体の世帯数及び人口表)
さらに、2026年の地価公示では、板橋区の住宅地の平均変動率は前年比+8.5%となっています。ただし、これは区全体の平均値であり、個々の物件の価格や今後の資産価値を示すものではありません。
(参考:東京都の財務情報 令和8年地価公示 区市町村別用途別対前年変動率)
こうした数字に加え、実際に現地を歩くと、旧中山道沿いには仲宿商店街を中心とした既存の生活商圏があり、板橋区役所などの行政施設、石神井川や公園、加賀の住宅街が比較的近い範囲にまとまっていることが分かります。
大型商業施設や大規模再開発だけに生活利便性を依存する街ではなく、長い時間をかけて形成されてきた住宅地と商業地に、現在も一定の人口・世帯が集積していることは、賃貸住宅の立地を考える際の一つの判断材料になるでしょう。
一方、板橋本町駅周辺では首都高速道路や幹線道路の影響など、同じ駅勢圏でも住環境には差があります。「三田線徒歩圏」という条件だけではなく、駅から物件までの動線や周辺環境まで個別に見ることが重要です。
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